ミレニアム2000年は、神聖ローマ帝国皇帝として、「陽の沈まぬ帝国」の支配者として君臨したハプスブルク家のカール5世(1500〜1558)が生まれて500年の記念の年である。オーストリア、スペインを主な領土としたハプスブルク家であるが、カール5世は、ベルギーのゲントで生まれ、メッヘレンで幼少期を暮らしたベルギーに非常に関連のある人物です。
そして、もう一人ベルギーゆかりの人物として、ブルゴーニュ公国の公女マリーがいます。マリー(1457〜1482)はカール5世の父方の祖母にあたる人物で、ブルゴーニュ公国からカール5世の時代にかけて、ベルギーは世界で最も発展した地域の一つでした。
◆ブルゴーニュ公国とカール5世関連系図◆
(ブルゴーニュ公国) |
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(フランス・ヴァロア家) |
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(フランドル伯家) |
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フィリップ豪胆公 |
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マルグリット3世 |
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(1384〜1404在位) |
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(1383−1405在位) |
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※フランドル伯領とブルゴーニュ公国が合同する。 |
ジャン無畏公(1404〜1419在位) |
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フィリップ善良公(1419〜1467在位) |
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フェルナンド |
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イザベル |
シャルル突進公(1467〜1477在位) |
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(アラゴン王) |
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(カスティリャ女王) |
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(ハプスブルク家) |
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マリー・ド・ブルゴーニュ(1477〜1482在位) |
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マクシミリアン1世 |
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マルガレーテ
(1480-1530) |
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フィリップ美公 |
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ファナ |
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カール5世 |
(カルロス1世) |
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フェリペ2世 |
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○ブルゴーニュ公国略史
ブルゴーニュ公国
1419 |
14世紀末、さまざまに群雄割拠状態であったベルギー地方をリエージュ皇子司教領を除いて統一したのがブルゴーニュ公たちでした。フランドル伯は娘マルグリットをフランス、ヴァロア朝ジャン2世の末弟のブルゴーニュ公フィリップ(豪胆王)に嫁がせ、ブルゴーニュ公家はフランドル伯家との婚姻によりベルギーに入り、封建領主の統一を成し遂げました。その息子のフィリップ善良公はその領土をジーランドからルクセンブルグに至る11州の形に再統一しました。
ブルゴーニュ公国が繁栄期を迎えたのは、フィリップ善良公の時代(1419〜1467在位)で、フィリップは1419年宮廷をディジョンからブリュッセルに移し、ブリュッセル、ナミュール、リエージュなど南東部の都市を統治。公は各都市の独立を抑え、ブリュッセルからの中央政権をとり経済を強化したこの時代は、ブルゴーニュ公国の繁栄とともに文化・芸術も大きな飛躍を遂げ、文化の爛熟期を迎えました。ブリュッセルのグランプラスのような豪華絢爛なフランドル・ゴシック様式建築が誕生したのもこの時代です。
○マリー・ド・ブルゴーニュ(1457〜1482)
1477年フィリップの息子シャルル勇胆公には嫡男がなく、後継ぎはマリーのみでした。領土拡大の野望を持つシャルルは、数々の政略結婚の申し込みに対し、なかなか応じませんでしたが、1473年に神聖ローマ皇帝であるハプスブルク家のフリードリッヒ3世と会談、その息子マクシミリアンと対面させました。シャルルが次の神聖ローマ皇帝に推挙されるのが条件でしたが、7人の選帝公による選挙により皇帝は選ばれるため、なかなか思うようにいかず、スイスに出兵。あえなくシャルルは戦死してしまします。あとに残されたマリーは、マクシミリアンに頼らざるを得ず、手紙を出すと、マクシミリアンは十分な路銀もなく出立し、半年後ようやくゲントに到着。到着の翌日早速結婚式が行われ、ネーデルランドの殆どはハプスブルグ家の支配に入りました。王子フィリップと王女マルガレーテという2人の子供にも恵まれ、幸せな結婚生活を送っていましたが、1482年、狩に出かけようとして馬が転倒しマリーは急死してしまいます。まだ、24歳でした。彼女の死によって、マリーの夫、マクシミリアンはブルゴーニュ公国の領地を摂政として引き継ぎ、ネーデルランドはオーストリア領(ハプスブルグ家の領有)になりました。
さて、マリーの宮廷があったゲントの南、VICHTEの町にVerhaegheヴェルハーゲ醸造所があり、この醸造所が醸すビールの一つに、Duchesse de Bourgogneという銘柄があります。Duchesseは公女の意味で、Duchesse de Bourgogneとはすなわちマリー・ド・ブルゴーニュその人を指しています。ビールのラベルにもマリーの肖像画が描かれていて、絶世の美女と言われたマリーの姿を見ることができます。(最近ラベルが新しくなり、別のマリーの肖像に変わりました。)
ビールはレッドビールに分類され、軽い酸味を特徴としたさわやかでバランスのとれた美味しいビールです。
マクシミリアンの息子フィリップ美公はスペインの王位継承者である娘と結婚し、その結果彼はスペイン王の地位を得ました。彼はネーデルランドをも依然として支配していました。
(つづく)
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