第3回ベルギー王国ビール探訪記(7)

4日目(1)
1.世界遺産:サントル運河のボート・リフト
2.シメイ修道院(スクールモン修道院)の醸造所

世界遺産:サントル運河のボート・リフト

サントル運河のボート・リフト巨大なプールを持ち上げる


 ベルギー4日目である。早朝7時集合だが、この季節のこの時間はまだ真っ暗である。この日は、シメイ修道院が見学の目的である。シメイに行く途中にあるベルギーの世界遺産である「サントル運河のボート・リフト」を見てから行こうと、TBSの「世界遺産」のプロデューサーである辻村さんの提案に同意し、出発時間が早まった。

 「ボート・リフト」を解りやすく言えば、船が浮かんだプールをそのままエレベーターで持ち上げるというものだ。
 ベルギーには3つの世界遺産があり、 1998年12月2日の世界遺産京都会議において、「ブリュッセルのグラン・プラス広場」、「フランダースのベギン会院」、「サントル運河のボート・リフト」が同時に世界遺産に登録された。フランドル、ワロニア、ブリュッセルの3地域からなる連邦国家ベルギーは、3地域平等が原則で、そうしたことからこの3地域それぞれ1つずつ世界遺産の候補を出すことになった。
 
 ブリュッセルの「グラン・プラス広場」は、主として17世紀の歴史的建造物群(ギルドハウス、市庁舎、王の家、ブラバン公の館)が建築的・芸術的に見事な均衡を保っている点、また、建造物と公共の場としてのこの広場が、商業都市の成長と最盛を如実に表現している点などを理由に認定されたのは当然のこと。
 
 フランドル地区の「フランダースのベギン会院」は、中世の北西ヨーロッパ(12〜13世紀以降)において、極めて特徴的で重要な宗教的ムーブメントとなった女性の在俗修道会(ベギン会)の建築の総体をいい、ベルギーのフランダース地方(ブルージュ、ゲントなど)に数多く点在する。会院は一般に住居、教会、付属建築物、中庭などからなり、その空間設計そのものがフランダース地方の都市・地方計画の具体的な例証であると同時に、宗教建築とフランダースの伝統建築との融合を完全に表現していることを理由に今回の登録となった。基本的にはブルージュのベギン会修道院を想定するとわかりやすい

 以上の2つは有名で納得できるが、「サントル運河のボート・リフト」は、(辻村さん曰く)ワロニアからも1つ選ばないといけないという理由から無理に選んだものであるという。建造当初から現在に至るまで稼働中のものとしては世界でも唯一の4つの巨大なボート・リフトで、1888〜1917年、ムーズ川とエスコー川のそれぞれのドックを連絡してドイツからフランスへの直通幹線を実現するために、その間(ラ・ルヴィエール〜ティウ間)に存在する67mの高低差を解消する手段として建造された。ヨーロッパ19世紀の運河建設・水工学発達のひとつの頂点を示す傑出した建造物であり、毎年4万人が訪れている。しかし最近すぐそばを平行する新運河に単独で全高低差を解消する超巨大なストレピ=ティウのボート・リフトが完成してからはその存続が危ぶまれていた。今回の認定は、ボート・リフトばかりでなく、運河上の橋梁、付属建築物などの関係施設をも含むラ・ルヴィエール、ル・ルーの敷地全体を対象としたものであり、これにより炭坑を主軸に工業化したベルギー・サントル地方の19世紀の産業風景がそのまま遺されることになるという。同所は船で見学可。

ストレピ=ティウのボート・リフト
船をエレベーターで持ち上げている
ストレピ=ティウのボート・リフトから
(展望台から望む)
サントル運河のボート・リフト

本稿は、ベルギービールについての探訪記が目的なので、これ以上詳しく見学などの様子を記述しないが、辻村さんが下見ですと言っていた「サントル運河のボート・リフト」は、1999年6月5日(日)のTBS番組「世界遺産」で放映された。辻村さんは本番の取材には同行しなかったという。   

シメイ修道院(スクールモン修道院)の醸造所

さて、この日は本当に寒い日であった。前日までは青空が見える珍しく良い天気が続いたが、この日は粉雪が舞う天気。私は熱と頭痛で最悪の体調であった。藤原さんは、辻村さんが持参した薬でやや回復気味。辻村さんは、世界遺産の取材で世界を飛び回るので、テレビ局の福利厚生部局から行く国で想定される病気に関しての薬をいつももらって常備しているのだという。
 レンタカーの運転は山田さんであるが、本日は藤原さんが助手席に座り、地図を見て運転の補助をする。
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Bieres de Chimay SA
シメイのボトリング工場(修道院からここまでタンクローリー でビールを運んでくる。)。ずいぶん大きい工場である。


 シメイに着いたの午前11時ころ。まず訪れた場所は、シメイのボトリング工場である。Bieres de Chimay SAのミヒャエル・ウェーバー輸出担当部長、同部のフレデリック・シモニスさん、そして日本への輸入元シメイ・ジャパンの現地窓口となるエビレフEBIREFの海老沢宣昭さんの3人に出迎えられた。シメイ修道院を訪問するには「シメイ・カルチャー・クラブ」の会員でなければならない。我々は事前に会員登録を行ったうえでの今回の訪問である。
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 ボトリング工場ではシメイの概略的な話や日本への輸出についての話を、主に海老沢さんから伺う。


 シメイの修道院について簡単に紹介する と、シメイは世界に6ヶ所しかないトラピストビールを生産する修道院である。修道院の名はスクールモン修道院(Abbey de Scourmont)といい、シメイの名は、1664年ランス大修道院長のよって創設された、トラピストの規律を踏襲したシトー派の僧達に由来している。シメイの南にフォルジュForgeという小さな村があり、1850年、聖ベネデイクトの規律を信奉する何人かのトラピスト僧達が、この寒村のはずれのスクールモンの丘の上に、シメイ君主から自治領をもらってシトー派のスクールモン修道院を建設した。
 戦争や革命が多発したこの時代、修道院の門を叩く亡命者・難民・犯罪者たちは後をたたず、修道士たちは分け隔てなく門戸を開いて親身に奉仕した。修道士たちは自給自足の日常生活に必要な糧を得るために、領内に湧く良質の地下水を神から授り伝承の醸造法に基きビールの醸造を始めた。
 農耕活動に理想的なこの環境のなかで、彼らの活動は着々と進み、独自の地域性を保ちつつ労働の成果を他と分かちあいたいと願うコミュニテイは、1965年から諸活動を外部に頼るようになったため、シメイの土地に雇用を創出していった。同じ年、牧畜および作付け活動を含む修道院の農耕活動の責任を担う、「ラ・ファルム・デユ・プランス」とよばれる協同組合が設立された。
 トラピストたちによって醸造されたビールの瓶詰めとマーケテイング活動は、シメイから5km先のベイリュー工業区域にある「ビエール・ド・シメイ株式会社」に委託されるようになり、今日修道院で作られているビールは、醸造後、タンクローリー車で新しく建設された瓶詰め工場に運ばれている。特に乳酸関係の対策で工場を一新したという。

現在のビールのラインナップは、ブルー・キャップ33cl(アルコール9%、75clと1.5lのマグナム「グランド・リザーブ」)、ホワイト・キャップ33cl(アルコール8%、75clは「サンク・サン」)、レッド・キャップ33cl(アルコール7%、75clは「プルミエール」)の3種類で、容量では、7種類を生産していることになる

 日本への輸出に関しては、日本ビール鰍ニ高島屋商事を窓口にしていたが、日本ビールは世界の国のビールを扱う会社で、シメイを特別なものとして扱ってくれなかったので、新しくシメイ・ジャパンという会社を起こし(代表は海老沢さんのお兄さんとのこと)、日本での普及を図りたいということである。また、ディスカウント・ショップは困りもので、変質したビールを堂々と売っており、一度市場調査をしたことがあるが、河内屋ややまやで売られているシメイビールは2〜3年前に製造したビールだったそうである。カツミ商会の平行輸入品については「ほとんど原価に近い価格で売られており、儲けはいったいどうなっているのだろう」と話していた。今後は値下げをして、安心出来る品質のものを安く日本の消費者に提供して、普及を図りたいということである。
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 修道院との約束の時間があるということで、ボトリング工場の見学はやめて、早速フォルジュにある修道院に向かう。粉雪が舞う中、静かな森を越えて修道院の醸造所に到着する。

トーマス神父が我々を出迎えてくれた。


 出迎えてくれたのは、トーマス神父である。トーマス神父はかってスクールモン修道院の院長を勤めていたいたこともあるという。ビールの醸造責任者の前任は、テオドール神父といい、マイケル・ジャクソンの著書やさまざまなところでシメイ・ビールを語る上で登場していた有名な人物であったのだが、惜しくも亡くなられたという。そのあとを継いだのがトーマス神父というわけである。
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生産工程は、修道院ビールの醸造法の伝統に則ったものであるが、1989年からは設備を新しくし、コンピューターを使った技術と1862年以来受け継がれてきた技を融合し、ビールを醸造している。
 原料はモルト(大麦麦芽)と小麦である。これらの原料を修道院の地下から汲み上げた水と一緒に、マッシュタンとよばれる大きなタンクに移す。破砕された穀物粉を糖化するため、少しずつ異なる温度で加熱する。すると甘い麦汁に変化する。その後、この麦汁からもみがらなどの固形物=ドラフDraffを分離する。なお、ドラフは非常に栄養価が高いので、家畜の餌用に地元の農家達が集めに来ると言う。
 次に麦汁を煮沸させるが、この時点でホップを煮沸し始めと終わりに分けて加えて、ビールに苦みと芳香さを与える。

すべてをコンピューター制御で行っているのが自慢 破砕機 ろ過機(Mash Filter)

 冷却し、ろ過した後、麦汁を発酵タンクに移してから、純粋培養した酵母を添加して発酵が始まる。この酵母は、1948年にテオドール神父が分離、培養した酵母である。それ以来、純粋培養した酵母を使用している。
 発酵は、3日〜4日かけて行われるが、発酵温度は30℃という非常に高温で発酵させているという。この温度は上面発酵でも極めて高い温度である。神父は「これは○日目、向うは○日目です」と説明してくれ、タンクの覗き窓から中を見ると発酵状況が異なっており、酵母が麦汁を分解し、アルコールと二酸化炭素に変えていく様子が日々変化しているのが確認できた。その後、数日間寝かせてから、遠心分離機にかけ最終的なろ過を終えた後、醸造の質を検査する。

タンクの中で発酵中 タンクの 底

 あらゆる品質規格のすべてが満たされて始めて、シメイは瓶詰めされる。瓶詰めの前に、さらに少々の酵母と砂糖を加え、瓶内二次発酵をさせる。瓶の中で、最低3週間寝かして、晴れてシメイトラピストビールが完成する。
 これを最初に訪れたボトリング工場へトラックで輸送し、瓶詰めするのである。

検査室

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検査器具の1つ


 醸造工程の見学が終わったが、我々が見たものは、修道僧が昔ながらの手作りでビールを醸造しているというイメージには程遠く、極めて現代的な、コンピューター管理の規模の大きい醸造設備であった。さらにこの醸造所には、修道僧は我々を案内してくれているトーマス神父がいるだけで、働いている醸造技術者や研究員、検査員の方たちはみな民間人であった。「修道僧は、醸造所の監督をやっているだけ」と海老沢さんは話していた。
  トーマス神父がコンピューターの制御盤の蓋をあけて中の配線などを見せてくれたりと、とにかく生産における品質管理という面で新しい醸造設備がいかに優れているかがアピールされ、高品質なビールが安定的に生産されていることはよくわかった。
 しかし、修道院ビールという名に何かしら郷愁的な思いを抱いてビールを味わっている者にとっては、この近代的な設備に対し違和感を感じずにはいられなかった。

(つづく)


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