ベルギービールのリヴァイヴァル
多彩で複雑、予期せざる味わい、それでいて美味しいベルギービール。そんな魅力あるベルギービールのブームが本格的に根付いてきた。かってベルギーにおいて醸造所の廃業が続き、年々個性あるローカルなビールが減少していった中、それを憂いて後継の世代が奮起し、また、ホームブルワーに端を発する新たな醸造所も生まれて百科絢爛の状態になってきています。世界的なクラフトビールの流行の中で、ワイン樽、コニャック樽、ラム樽、バーボン樽等様々な樽でビールを熟成させた今までのビールの範疇を超えるものや、ランビックでは特別な樽を選別したものや、伝統では使用していなかったフルーツやハーブを漬け込んだものが次々に発表されている。
この「新ベルギービールの魅力」の巻頭では、まだベルギービールが知られざる特別なビールだった時代を、以下少しだけ振り返ってみる。
マイケル・ジャクソンの功績
世界でもベルギーという小さな国で密かに親しまれていたビールが、世に広まったのはマイケル・ジャクソン(2007.8没)が”Michael Jackson's Great Beers of Belgium”(初版1991、第2版1994、第3版1997、第4版2001,第5版2005)(*邦訳『地ビールの世界』(田村功訳:柴田書店、1995年9月)を出版し、ベルギービールを世界に紹介したことによる。
ベルギーに存在する小さな醸造所が生産するそれまで一般的だったドイツやイギリス、チェコのビールタイプとは明らかに異なった様々なタイプのビールを分類し、その魅力を紹介したのだ。レッドビールやランビックのような地方ごとに伝統あるタイプが生産されているばかりでなく、デュベルやデリリウム・トレメンスのような新しいビールの誕生、そして、ピエール・セリス(2011.4没)によるヒューガルデン・ホワイトという白ビールの復興の物語など、魅力を十二分に伝えてくれた。ほかにも伝統を守る頑な醸造家、再度自分たちでビール醸造を再開しようビールに情熱を捧げる醸造家 読んで尽きない。
この本以外にもBeer Companion(邦訳「ビア・コンパニオン 日本語版」(第2版の翻訳1998)やThe New World Guide to Beer(1988)(邦訳『世界のビール案内』(1998)ほかにおいて、世界のビールを紹介する中で、ベルギービールについて詳しく触れている。
1995年にマイケル・ジャクソンの『地ビールの世界』が出版された翌1996年、マイケル・ジャクソンが来日し、2月」23日出版元の柴田書店の会議室で「ベルギービールの素晴らしい世界」と題し、ビールセミナーが開催された。翌1997年も来日し、ベルギー大使館においてベルギービールセミナーが開催されている。
また、日本での出版に先立ち、1992年6月にマイケル・ジャクソン「世界ビール紀行」がNHKで放映された。その3回目が「世界ビール紀行 3 アイルランド/ベルギー」(KIRIN Video Library)」であった。
さらに、後の1999年11月11日には、NHK放映の「地球に乾杯」において、カンティヨン醸造所などベルギービールが特集されて、その中にも登場している。
日本におけるベルギービールの普及黎明期(1990年以前~2000年を中心として)
日本においては、日本酒「白雪」の蔵元である小西酒造株式会社がヒューガルデン社ほかと取引を開始したのが1988年、ほかに今も残る会社では株式会社廣島、日本ビール株式会社、株式会社池光エンタープライズなどがベルギービールの輸入を行っていた。普通の酒屋さんではベルギービールを扱っている店は少なく、日本ビールが世界のビールの小売店として「ビアーハウス」を1989年に開業していて、よく車で購入しに出かけたものである。
ベルギー滞在で魅力にとりつかれた芳賀詔八郎氏のブラッセルズは、神田店のオープン(1986.2.14)に続き、神楽坂店(1988年)、茅場町店(1992年、現在閉店)、原宿店(1993年、現在閉店)と店舗を増やしていった。
ベルギーでジャズの演奏家として活躍していた山田正春氏は帰国後、1988年赤坂に「ボア セレスト」を開業、ベルギー以外にも世界のビールを揃える店として細村匡史氏は1993年六本木に「セルベッサ」を開業(現在六本木は閉店、今は赤坂で規模縮小で再開)、ベルギーで料理を修業してきたベルギー料理のシェ・ミカワ(堀込一三氏、今は子息の堀米伸一氏が継ぐ)は1987年赤坂で開業、同じくベルギーで料理を修行した原田延彰氏は、1994年神田にシャン・ドゥ・ソレイユを開業している。同時期1994年に仙台においては、庄司庸男氏(というよりダボマス)がダボスを開店している。この時期に、今も続くベルギービールの草分け的な店舗が続けて開業していた。
少し遅れるが、1997年7月16日に「渋谷ベルゴ」がオープンしており、この株式会社ユーロ・フレックス系列の店舗は、続いて「新宿フリゴ」を2000年4月にオープンしている。1999年5月2日には下北沢に「地ビールハウス 蔵くら」(神田に移転後現在閉店)がオープン、大阪においては、平成11年7月25日に「Beer Brassarie Dolphins(天満橋店)」がオープンしており、少しずつベルギービール愛好家の裾野が広がってきた。
Webにおいては、剣持秀紀氏による「すばらしきベルギービールの世界」が、まだパソコンもインターネットも普及していない時代からページを開設しておられ、当時ベルギービールの情報を得るすべが極めて限られていた中でベルギー勤務のメリットを生かした正確な情報を伝えた先駆的なホームページである。残念ながら2002頃をもって更新が止まっているが、今もその価値は衰えていない。
ちょうど、1994年に酒税法改正(地ビール解禁)によりエチゴビールが同年12月にビール免許取得(地ビール第1号)し、翌1995年6月には小西酒造も白雪ビールというベルギータイプ(ブロンドとダーク)の地ビールの醸造を開始し、同年11月30日~12月2日晴海で「地ビールまつりin東京1995」がビールメーカー13社約30種類を集めて開催された。これは地ビールの祭典の最も早いイベントであり、現在のクラフトビールブームの原点でもある。その後、地ビールイベントにもベルギービールメーカーが出店するなどベルギービールとクラフトビールはともに認知度を増していくことになった。
また、ベルギービール広報センター(佐藤ひとみ代表)が発足したのが、1998年4月27日であるが、消費者向けに本格的に活動するのは1999年に《Belgian Beer Cafe Rally》を開催したのを除き、まだ先2010年のベルギービールウィークエンドの開催まで待つことになる。
百貨店では、東武百貨店池袋店において、当時務めていた関根芳雄氏が、1999年5月20日から「第1回ベルギービール・フェア」(期間5/20~26)を開催したのが最初であろう。当時の東武百貨店池袋店のビール売り場は、世界のビールが網羅されて販売されており、その中でもブラッセルズが輸入するレアなベルギービールを扱っていて、よく購入しに出向いたものである。特にランビックのうちでもブラッセルズが空輸で輸入したハンセンス・クリーク大瓶が独占的に市販されたのは衝撃的であった。
当酒蔵奉行所も1991年11月に発足し、1993年に第16回銘醸酒を味わう会でベルギービール8種類を取り上げた。1995年12月に第1回ベルギービール探訪旅行に旅立って以降日本初のベルギービールの愛好会として発展していくのもこの時期である。(第1回ベルギービール探訪旅行記は『酒蔵奉行所通信』特別第3号(1997年12月1日発行)、第2回ベルギービール探訪旅行記は『酒蔵奉行所通信』特別第4号(1998年8月14日発行)に掲載し、以後の旅行記を酒蔵奉行所HPの「ベルギービールの魅力」として公開し始めたのは1999年)
ほかに、Tim Webbティム・ウェブの“GOOD BEER GUIDE TO BELGIUM AND HOLLAND”の初版が刊行されたのもこの時期の1992年(以後版を重ねて2018年に”GOOD BEER GUIDE TO BELGIUM”として第9版を刊行)である。どのベルギービールが美味しいのか、どこの醸造所が美味しいビールを生産しているのかを、第9版では醸造所を醸造所マークの数で、ビールは★の数でいずれも5つを満点として評価しているので一目で優良な醸造所やビールが分かってしまう。ビアカフェについてもどこのカフェが何種類のビールを置いているか、または、こういう珍しいビールが飲めるなどベルギー全土のカフェについて記述があるので、この本を頼りにベルギーに出かけた方も多数いる。第2版は1994年、第3版は1997年に出版されて買い求めた方も多い。さらに2000年以降は、ベルギービールに関する洋書もアマゾンなどで入手しやすくなって、詳しい情報も入手しやすくなった。
ベルギービールの普及に向けて
樽生ビールの浸透
その後、日本においても輸入元の努力もあり、少しずつ扱う銘柄が増えつつあったが、それはボトルビールに関してである。日本にベルギーの樽生ビールが広く一般的に飲まれるようになるには、もう少し30リットルの樽の輸入およびデポジットの樽の返送といった輸送やサーバーの扱いに問題がないと思われるまで時間がかかった。ブラッセルズが極少量の樽を輸入したことはある(デ・コーニング樽とかゴロワーズ樽など)が、イベントなどで提供された程度であった。その後、ブラッセルズでは、2002年10月に渋谷に開店(現在は閉店)したワロニアビール専門店「イドロパッド」に合わせアベイ・デ・ロック醸造所、ルフレーブ醸造所などの樽を本格的に輸入するようになった。ブラッセルズ輸入の樽以外では、少し遅れて2005年の愛・地球博(愛知万博)において、デリリウム・トレメンスの樽(30リットル樽)がベルギー館で提供されたのが最初である(*なお、その後余った樽は両国の麦酒倶楽部POPAYEで提供された。)。
2004年に菅原亮平氏(現EVER BREW 株式会社代表取締役)がベルオーブ六本木店(現在閉店)を開店後、豊洲店開業(2006年)を経て2007年にオープンしたデリリウムカフェトーキョーのベルギービール樽生の品揃えはかってない驚きであった。タップの数では、クラフトビールを繋ぐ麦酒倶楽部POPAYがすでに40TAPで群を抜いていた(現在は100TAP以上)が、新しい店舗を開店する度にTAP数を増やし、ヒューグ醸造所、シリー醸造所、ヴァン・ホンセブロック醸造所、セント・ベルナルドゥス醸造所、ルル醸造所、デ・ランケ醸造所、デ・ドレ醸造所などの樽を次々に輸入して、2017年4月28日開店のRIO BREWING & CO. BISTRO AND GARDENでは、RIO BREWING & CO.東京醸造所の自家醸造のビールも含め、最多の38連TAPとなっている。
樽のビールが急速に普及したのは、Keyケグの開発によるところが大きい。それまでは、30リットルの金属樽にビールが詰められ、樽のデポジット料は有るし、運搬は大変であるし、樽は本国に送り返さなければならない。手間がかかり重労働を強いられ、Keyケグという画期的なプラスティック製ワンウェイケグは、ワンウェーなのでデポジット不要で空き樽を返却しなくてもよく、金属でないので軽くて運搬に伴う重労働がなく、さらにコスト面でも負担が大きいというマイナス面を一気にクリアーしたのである。さらにほとんどが20リットル樽で、樽内のビールは空気に触れることが無いので劣化が少ない上に1杯250mlで提供すれば最大80杯弱の提供となり、早めに一樽を売り尽くすことが可能となった。
ベルギービールウィークエンドの開催
ベルギーのブリュッセルの中心の広場グランプラスにおいて毎年開催されていたベルギービールの祭典ベルギービールウィークエンド(第1回は1999年9月)であるが、日本でも2010年9月10日~12日に第1回ベルギービールウィークエンド東京(六本木ヒルズアリーナ)が開催された。以降、日本の主要都市(開催年によって変動があるが、札幌、仙台、横浜、金沢、名古屋、大阪、神戸、広島、福岡)でも開催され、東京ではもう一カ所、日比谷も加え、2019年には第10回を迎えた。
ベルギービールの今
そして約10年の歳月が経ち、ITの技術進歩による情報のスピーディな拡散や世界の人々の嗜好の変化が重ねって、ベルギービールを巡る情勢が、本国ベルギーはもとより、日本においても大きく変化していく過程にある。このホームページでは、これからも大きく変貌していく今を伝えていく。(奉行)