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ブリガンド BRIGAND 1798 | ||||||||||||||||||||||
フランス革命下のベルギー | ||||||||||||||||||||||
啓蒙思想の時代18世紀を通じて欧州に広まった啓蒙主義思想は、やがて身分制を揺るがす思想として強い影響力を及ぼした。特に、1770年代のイギリス北米植民地で起きた独立への動きは、やがて新大陸から欧州へと波及し、各地で旧制度(アンシャン・レジーム)に対する反発が広がっていく。1780年代後半にはフランスだけでなく、ベルギー(当時はハプスブルク領ネーデルランド)やオランダで革命の火の手が上がった。 ブラバント革命とベルギー合衆国の独立1789年フランス革命が起こると、ベルギーはオーストリアに対抗する為に立ち上がった。そして1790年ベルギー合衆国として独立を宣言したが、新しい国の指導者達の団結心の欠如のため、あえなくオーストリアに制圧されてしまった。
フランスに併合フランス革命中の1795年、ベルギーに居たフランス革命軍がオーストリアやプロイセン軍を破ると、フランスは、ベルギーを併合した。その後のナポレオン時代までは、フランス領としてフランスの法律が適応されていた。 |
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フランスへの反感フランスは自国では大きな改革を制定し、それは後の近代ベルギーの政府の基盤となったにもかかわらず、ベルギーを単に財源と軍需源としかみなしていていなかった。1793年9月に、公安委員会自らが占領地からの物資調達を命令している。ベルギー戦線では、フランス軍の補給係の将軍が現地の生産物の半分を軍に回すよう命令を出した。 1789年11月2日、教会の財産を没収しそれらを国有化した。教会は襲われ略奪された。 1798年9月5日、ジュールダン・デルブレル(Jourdan−Delbrel)法が成立し、徴兵制が確立したのに伴い大量の徴兵が行われた。 ブリガンド BRIGANDこうした、フランス軍の圧政に対抗し、レジスタンス活動が行われた。フランドルの農民も、1798年、インゲルムンステルからフランス軍を追い出し、これは、ブリガンド BRIGAND(義勇軍:直訳では山賊)と呼ばれた。 その勇敢さをたたえ、現在、ヴァン・ホンセブロック醸造所から「ブリガンド BRIGAND」という銘柄のビールが造られている。 しかし、かつてのスペイン占領時代の悪夢をほうふつさせるかのように、レジスタンス運動は弾圧され、ナポレオン帝政時代を迎える。 |
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