第6回ベルギー王国ビール探訪記(18)

7日目(4)
6. Brouwerij Boon ボーン醸造所

  Brouwerij Boon ボーン醸造所

ドリー・フォンテイネンをあとにした我々は、次はレンベークLembeekの町に向う。Lambicの語源ともなったという説もあるLembeekであるが、この町には、ランビック醸造所の大手、ボーン醸造所がある。
 ボーン醸造所は、1977年にランビックブレンダーを引退したレネ・デ・ビッツReneé De Vitsからレンベーク地方でいろいろなビールを卸していたフランク・ボーンが彼の会社を買い取り、自らもランビックブレンダーとなったのが始まり。1986年に現在の地に移転し、グース、クリーク、フランボワーズなどのランビックビールの醸造を開始した。そのため創業は1986年ということになっている。フランク・ボーンは大手ビール会社のパルムの役員も兼ねており資金的に恵まれているようだ。その後、1998年パルムがローデンバッハを買収した際、ボーン・クリークBoon Kriekとローデンバッハ・アレキサンダーが商品としてバッティングするという理由でアレキサンダーが2002年に生産中止されたという話は新しい。
 到着すると大きな工場のような醸造所に驚く。これまで訪問して来たランビックのメーカーはどこも小さかったからである。敷地に置かれた木樽の大きさにも驚かされた。今まで見てきた木樽はだいたい約250リットルのバリックであったが、ボーンのはその10倍もある大樽である。

 さて、フランク・ボーンFrank Boonさんが出てきて、我々を案内してくれた。なお、”Boon”の発音であるが、日本では「ブーン」と表記されることが多いが、”Boon”は「ボーン」と発音されるので、当ホームページでも「ボーンさん」、「ボーン醸造所」と表記する。また、日本においては輸入会社の小西酒造が「ブーン」を商品名とし、裏ラベルにも「ブーン」と印刷されているので、場合により「ブーン」を使用することにしたい。
 
 ちょうどモルトの袋が納品されたところで、袋の運搬作業でちょっと忙しそうであった。モルトはお決まりのように建物の最上階まで運び上げられていた。大麦麦芽(モルト)のほかに小麦の袋も確認したが、有機栽培との表示はなかったので、普通の麦芽と小麦を使用しているようである。
 ホップはいろいろ使用している。Goldingゴールディングス(1998年産)やFuggleファグル(1998年産)、そしてBrewers Goldブルワーズ・ゴールドで、これらはベルギーのPoperingeポペリングやAsseアッセ産のホップということである。

説明するボーンさん

Fuggleファグルのホップ(1998年産)

Brewers Goldのホップ

Goldingゴールディングスのホップ(1998年産)
 次にマッシュ・タンクを見学する。ここで破砕された麦芽と水が入れられ麦芽を糖化する。大きい。年間5,100hlの醸造するので、カンティヨン醸造所の年産900hlのマッシュ・タンクとは比べ物にならない。これだけ大きいとちょっと手作りとは言えなくなりそう。
 醸造釜もそれに応じて大きい。ここではホップが入れられ煮込まれる。出来上がった麦汁は、冷却槽で冷やされる。
 冷却槽は2階にあって、壁の大きな窓と換気扇によって外気とそして野生酵母も一緒にを室内に取り入れているようである。野生酵母が屋根の瓦の隙間から降り注ぐ感じではない。冷却槽も当然大きい。冷却されたウォート(麦汁)はタンクに移し変えられる。タンクには複数の日の麦汁がブレンドされ、麦汁の均質化を計っている。
 この後、グーズとクリークなど製品により工程に違いがでてくる。
 醸造設備の部屋の隣は、樽が並ぶ部屋。まずは、グーズ用に大きな木樽に麦汁が入れられる。樽内で発酵が始まり、樽口から泡が出てくる。樽が直径2メートル以上もあるので、樽口からホースを繋ぎ泡が流れてくる具合で発酵の状況を確認している。樽の容量が多いだけに流れ出てくる泡の量も多い。泡が止まるとボーンさんは樽を思いっきり叩いた。すると不思議なことに再び泡が流れ出してきた。
 倉庫に置かれている樽の数は、さすがにどのランビック醸造所よりも多い。樽の大きさ、形もさまざまである。樽にはそれぞれボーンの樽であることがわかる目印「L」マーク(LembeekのL)や樽詰めした日付や記号などが白チョークで書かれている。古い樽が目に付き、デ・カムやドリーフォンテイネンにあったピルスナー・ウルケルの再利用樽は見当たらなかった。ドリー・フォンテイネンは自前で用意したウルケルの再利用樽をボーンに持参して中身を詰めてもらって、ボーンのチョークサインをもらっているということであろう。また、古い樽には蜘蛛の巣が張ってあるのも見受けられた。。
 しかし、一般的にランビック醸造所では中古の樽を使用しているのが普通である。特にボーン醸造所の樽は本当に古い樽が多く、また、樽の数が多いため樽の修理のために専用の樽職人を抱えている。この樽職人は、ボーン醸造所の樽を修理するばかりでなく、他の醸造所の樽の修理も引き受けている。このときもドリー・フォンテイネンから修理を頼まれていて出張しなければならないと言っていた。ボーン醸造所は規模が大きく資金力もあるので、他の小規模ランビック醸造所のケア役も勤めるという存在になっているのである。 
 凄い数の樽を見せられ圧倒されたが、これらの樽からポジティブな選択がなされて、グーズの名品”マリアージュ・パルフェ”が生まれることになる。その他は”Oude Gueuze”となり、一部は”Oude Kriek”にもなる。
 では、一般的なクリークはどう造られるかというと、15年前から木樽を使用していないという。すべてステンレスタンクで発酵させ、クリークを漬け込んで造っているという。瓶のネックにあるヴィンテージは、クリークはサクランボの取れた年を表し、グーズの場合は醸造した年を表している。クリークは現在、スペインのガリーシアGalicia地方の物を使用しているという。
 ここで、いったん外に出た。そこでの説明では、この醸造蔵の他にもう一つ隣の敷地に醸造蔵を建てるというものだった。新しい醸造蔵が出きれば、マリアージュ・パルフェももっと造れるし、他の醸造所からの委託醸造も可能になる。とも言っていた。私はフランク・ボーン氏に対し、伝統的ランビックの守護者とのイメージを持っていたが、それは過去のことであった。現在のボーン氏は、醸造家としての顔ではなく経営者としての顔になっているようでちょっと残念である。
 瓶詰めのラインを見たあと、最後に案内された場所は保管用の倉庫である。ラベルが張られたビールがカゴに入れられ、カゴが重ねられている。カゴの中のビールを見てビックリ。オッド・ベールセルのグーズとクリークが本当に山のようにある。カゴが山積みされていたのである。この辺の事情はドリー・フォンテイネンのアルマンさんの話と同じで、閉鎖された在庫を2分したのだという。でも、ボーンさんの方にいっぱいある感じに見えた。もともと、オッド・ベールセルには瓶詰め機械がなく、ボトリングはボーン醸造所で行っていたのだという。ラベル張りも当然ボーン醸造所であろう。
 じっくり見回すと、もうひとつ珍しいものが。”Moriau”銘柄のグーズとクリークがある。Moriau(モリオー)とは懐かしい銘柄である。ランビック・ブレンダーのMoriauが製造を止めて久しい。Moriauブランドは、ボーンの数多くの樽の中からMoriauさんが選んだ樽をブレンドして造った特製のグーズやクリークであるという。なお、もともとのMoriauは、De Neveの麦汁をメインにブレンドしていた。マリアージュ・パルフェとは別のコンセプトのビールとなるが、商標を持ってさえいれば、いかようにでもランビック・ビールを造れてしまうのであろう。とりあえず、ランビック衰退の中にあってMoriauブランドの復活は喜ばしい。

 午後5時に近づいた。醸造所では特段試飲をすることなく、ブリュッセルに戻ることにした。
【データ】 Brouwerij Boon Fonteinstraat 65, 1502 Lembeek
Tel: +32 (0) 2 356 66 44 Fax: +32 (0) 2 356 33 99

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